ENIAC

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世界初のコンピュータ、エニアック

第二次世界大戦のさなか、1943年、アメリカ陸軍は弾道計算を高速で行う計算機の開発をペンシルバニア大学に依頼しました。これが、のちにエニアックと呼ばれる計算機の開発の始まりです。大砲の弾がどのような軌道を描くかを計算することは、戦争において非常に重要でした。しかし、当時の計算は手回し計算機や機械式の計算機を使って行われており、複雑な弾道計算には大変な時間がかかっていました。人手による計算では、誤りが発生する可能性も高く、より正確で迅速な計算方法が求められていました。そのため、電気を使った技術で動く、高速な計算機の開発が喫緊の課題となっていました。 ペンシルバニア大学のジョン・モークリーとジョン・プレスパー・エッカートを中心とする開発チームは、真空管を使って計算を行うという画期的な機械を考え出しました。真空管とは、電気を流したり止めたりすることで信号を制御する部品です。この真空管を膨大な数使うことで、これまでの計算機では考えられないほどの高速処理を実現しようとしたのです。エニアックの開発は困難を極めました。真空管は非常に熱を持ちやすく、故障もしばしば起こりました。また、当時の技術では、真空管を大量に制御するのは容易ではなく、開発チームは昼夜を問わず研究開発に取り組みました。そして、3年の歳月と莫大な費用をかけて、1946年、ついにエニアックは完成しました。エニアックは倉庫ほどの大きさで、1万8000本もの真空管が使われていました。その計算速度は、当時の機械式計算機の数百倍から数千倍にも達し、弾道計算をはじめ、様々な科学技術計算に利用されました。エニアックの誕生は、計算機の時代を切り開く重要な一歩となりました。
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計算の巨人、エニアックの誕生

第二次世界大戦という大きな戦いが繰り広げられている中、大砲の弾道計算は戦況を大きく左右する重要な要素でした。より正確に、そしてより速く弾道計算を行う必要性が高まる中、ペンシルバニア大学では秘密裏にある装置の開発が進められていました。それは、後に世界を変える計算機、エニアックです。「電子数値積分計算機」という正式名称の頭文字から名付けられたエニアックは、1万8千本近くの真空管を使った巨大な機械でした。これまでの計算機とは比べ物にならないほどの処理能力を誇り、人々は新たな時代の到来を感じました。 エニアックの開発は、戦況の進展とともに重要性を増していきました。大砲の弾道計算は、風向きや気温、湿度など様々な要素を考慮する必要があり、複雑な計算を迅速に行う必要がありました。それまでの計算機では、これらの計算に時間がかかり、戦況の変化に即座に対応することが難しかったのです。エニアックの登場は、この問題を解決する画期的な出来事でした。その圧倒的な計算能力は、複雑な弾道計算を瞬時に行うことを可能にし、より正確な砲撃を支援しました。 しかし、エニアックが完成したのは戦争終結直前でした。残念ながら、実戦に投入される機会はありませんでしたが、その存在は世界に大きな衝撃を与えました。エニアックは、後のコンピュータ開発に多大な影響を与え、現代のコンピュータ技術の礎を築いたと言えるでしょう。戦争という厳しい状況下で生まれた技術が、平和な時代へと繋がっていく。エニアックの物語は、技術革新と歴史の複雑な関係を私たちに語りかけているかのようです。